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09/30
ヒルマン監督“連パ”シンジラレナ~イ!
<ロッテ1-9日本ハム>◇29日◇千葉マリン

 日本ハムが2年連続でパ・リーグ制覇を成し遂げた。マジック2で迎えた2位ロッテとの直接対決に9-1で大勝、4度目の王座についた。昨季チームを44年ぶり日本一に押し上げた主力の新庄氏が引退、小笠原は巨人に移籍。12球団最低本塁打数の「極貧打線」は、足を絡め、相手のスキをつく野球でペナントを勝ち抜いた。今季限りで辞任するトレイ・ヒルマン監督(44)の目指してきた和洋折衷は、就任5年目で結実した。日本シリーズ出場権をかけたクライマックスシリーズは、10月13日からの第2ステージを本拠地で迎える。

 最後まで忠実に、冷静に、仕事をこなした。ヒルマン監督が、バットケースの上に、そっとメガネを置いた。球団史上初の連覇の舞い。今季の野球を象徴するように、やるべき準備を整えてから、ゆっくりと選手の輪へと飛び込んでいった。1度、2度、3度。昨季から計4度目、初めての敵地での胴上げ。「アリガトウゴザイマシタ。最高の気持ちです」。有終の舞いの第1章を、まずは淡々と終えた。

 完ぺきなフィナーレだった。2位ロッテとの直接対決。勝てば、外国人監督では初の連覇の大一番。気持ちは高ぶっていた。ナイターにもかかわらず、千葉市内の宿舎を午前中に出発。午前10時前には1人、球場入りし、集中力を高めていた。中盤までジリジリするような接戦も、最終的には3犠打に三盗の1盗塁と、機動力を絡め大差を付けた。「苦労もあったが、意識の高い選手たちですから」。最後は武田久-マイケルの必勝リレー。投高打低のチームを絶妙なタクトで、最後まで突っ走らせた。

 大きな転機は就任3年目、5位に低迷した05年終了後だった。「どうしても勝ちたい」。周囲の関係者に相談し、広く意見を求めた。当時のフロントをはじめ、金子誠らベテランにも、自身の戦術への意見を聞き回った。答えの多くが、バントなど小技を軽視しないこと。得点は取れなくても、送りバントをして1点を取りに行く気持ちを見せる。それだけで選手の感じ方が違うと、訴えられたという。日本の選手の気質を素直に受け止め、メジャー流のパワー野球を捨てた。

 元来は頑固一徹だ。米国人の中でもプライドの高い地域で知られる南部テキサス育ち。すしはもちろん、好物の肉類のはずの焼き肉でさえ「食わず嫌い」。日本の食文化を受け入れず、口に運ぶのはジャンクフードばかりだった。昨年9月。ここ千葉マリンでの、金村の監督批判問題。事態を知ると、周囲のスタッフに「スライディングパンツもソックスも一切残すな、ロッカーから運び出せ!」と大号令をかけ、完全に排除させた。時に強烈なリーダーシップで、日本人監督のようにチームの和も重んじる。唯一、受け入れた日本文化が「野球」だった。

 5年もの月日を経て外国人監督初の連覇まで、たどり着いた。愛用のノートパソコンのスクリーンセーバーに設定している1枚の写真が、長い戦いを物語っている。北海道へ移転した04年。オフに家族と富良野へ家族旅行へ出かけた時のスナップ。1男1女の4人で、笑顔で収まっている、紫色のラベンダーに囲まれているベストショットだ。辞任を決めた今季は、今は成長した子供2人を「大きくなったなぁ」と時折、目を細めて眺めているという。日本での足跡を振り返り始めた。

 そんな優雅に流れていた時間を、自ら止めることを決めた。集大成の1年間。CS、日本シリーズでのあるじの帰りを待つ、札幌ドームの監督室。まだファンからのプレゼントのグッズであふれ返り、05年7月に急死した母キャロリンさんの写真は、机の上に飾ったままにしてある。引っ越しの準備、別れを告げるのは、まだ先だと確信している。交流戦にパ・リーグ、そして日本シリーズ、アジア制覇の昨季果たせなかった4冠へ。「私自身も一喜一憂しないで戦う。選手たちもその通り戦ってくれる」。地味で実直なアメリカ人監督がかなえたジャパニーズ・ドリームには、まだ続きがある。
(北海道新聞 引用)
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